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テニス大会のいろいろ

テニスの大会といえば、四大大会。全豪オープン・全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンが有名です。

全豪オープンは、オーストラリアのメルボルン・パークで1月に行われるテニス大会です。

2006年のシングルス優勝者は、ロジャー・フェデラーとアメリ・モレスモ。

全仏オープン。これは、5月から6月にかけて、パリのローラン・ギャロス・スタジアムで行われるテニス大会。

2006年のシングルス優勝者は、ラファエル・ナダルとジュスティーヌ・エナン=アーデン

ウィンブルドン選手権は、6月から7月にかけて行われ、テニス大会の中でも有名な大会です。

イギリスはウィンブルドンのオールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブで行われ、全英オープンと呼ばれることもあります。

129年の歴史をほこり、芝の上でおこなう、文字どおりのローン(芝生)テニス大会の最高峰です。

最近は、審判の新制服も注目を集めています。

2006年のシングルス優勝者は、ロジャー・フェデラーとアメリ・モレスモ。

全米オープンは、ニューヨーク市郊外のフラッシング・メドウのUSTAナショナルテニスセンターで、8月に行われます。ウィンブルドンに次いで歴史が古く、観客動員数・賞金総額において世界最大のテニス大会です。シングルス優勝賞金は1億4000万円。

テニス界でのグランドスラムは、これら四大大会にすべて優勝することをいいます。

いろいろなテニス大会

テニスの大会には、アマチュアからプロテニスまで、さまざまなものがあります。

全国小学生テニス選手権、全国中学生テニス選手権、全日本学生テニス選手権、全日本テニス選手権、全日本実業団対抗テニス、ねんりんピック、などなど、子供から大人まで、一度はどこかで聞いたことのある、さまざまな大会が開かれています。

乳がん早期発見啓発キャンペーンである「ピンクリボンレディーステニス全国大会」というのもあります。

国際的に注目を集めるテニスの大会は、男子のデビスカップ、女子のフェドカップなどが有名です。オリンピックや、ユニバーシアードも注目を集める大会です。

パラリンピックの車いすテニスなど、競技用車いすを使ったテニス大会や、視覚ハンディキャップテニス大会など、障害者によるテニス大会も広まっています。

ソフトテニスとは

ソフトテニスは、軟式テニスとも呼ばれていたこともある、ゴムボールを使用した、いわゆるテニス(硬式テニス)に似たスポーツです。

ソフトテニスは、日本生まれのスポーツです。明治17年、当時は消耗品であるテニスの硬球が輸入難だったことから、ドイツ製のゴムボールを使用した球技が考案されました。

今では、日本やアジア、太平洋諸地域で人気があり、ヨーロッパでも広まっています。

ボールは、6.6cmの白や黄色のゴムボールが使われ、ラケットは69cmで、テニスのものより軽量です。

ソフトテニスの大会としては、天皇賜杯・皇后賜杯全日本選手権大会をはじめ、国民体育大会や全日本選手権大会などがあります。小学生大会から、全日本シニア選手権というのもあり、子供からお年寄りまで楽しめるスポーツです。

ソフトテニスの歴史

ソフトテニスは、1884年、最初の日本人体操教師である坪井玄道(つぼいげんどう)が、ゴムボールでするテニスを考案したのが起こりとされています。坪井玄道のゴムボールによるローンテニスの指導によって、ソフトテニスが広まることになりました。

最初のソフトテニスのルールがつくられたのは、1904年。

大学でのテニスは硬式へと移行したものの、社会人や女性によって、ソフトテニスが人気を博します。

日本軟球協会が1924年、日本軟式庭球連盟が1926年に設立され、両者は1928年に統一されたのち、1933年には日本軟式庭球連盟として再スタートします。

第二次世界大戦中は物資がとぼしく、ソフトテニス界は低迷したものの、戦後復興とともに、ソフトテニスも隆盛をとげます。

伝統ある国産スポーツのひとつで、全国の愛好家は700万人ともいわれ、学校の部活としても、ソフトテニス部は長い歴史を誇っています。

ソフトテニスは、軟式テニスと呼ばれていましたが、1992年、ルールの改定にともない、改称されました。また、ダブルスが主流でしたが、1993年には、シングルスも正式導入されました。

いまでは、アジアを中心に、ソフトテニスの国際大会も開かれるようになっています。

テニスのルール

テニスのルールは、簡単にいえば、ネットをはさんで、ラケットでボールを決められた区画内で打ち合うものです。

シングルス・ダブルス別に試合があります。

テニスのルールでは、コートの種類は、クレーコート、グラスコート、オムニコート、ハードコート、室内コートの5つが一般的で、平坦で一定の広さがあればどこでもできます。

縦幅23.77m、横幅8.23mで、ダブルス用にはさらにアレー幅がつきます。

得点の数え方は、テニスのルール独特のもので、0ポイント(点)がラブ、1ポイントがフィフティーン、2ポイントがサーティ、3ポイントがフォーティといい、1プレーに勝てば1ポイントの得点になります。

テニスのルールでは、4ポイント取ると1ゲーム取ったことになり、それを6ゲーム取ると1セット取ることになります。

3セットマッチの試合では、先に2セット、5セットマッチの試合では、先に3セット取ると勝ちになります。

テニスのルールは

テニスのルールはわかりにくいという声をよくききます。

まずテニスは、シングルス、同性ペアのダブルス、男女ペアの混合ダブルスの3つの種類の試合にわかれます。

簡単にいえば、プレイヤー同士のサーブ、レシーブの打ち合いです。

サーブの打ち方、レシーブの返し方、失点・得点のカウントも、テニスならではのルールがあります。

テニスのルールでは、0ポイント=ラブ、1ポイント=フィフティーン、2ポイント=サーティ、3ポイント=フォーティ。4ポイント取ると1ゲームとなります。

どちらも3ポイントずつのデュースになると、2ポイント差がつくまでおこないます。

その1ゲームを6つ取ると、1セットとなります。

どちらも6ゲームずつの6対6になった場合は、2ゲーム差がつくまでおこなうか、タイブレークといわれる特別なルールでおこないます。

テニスでは、5セットマッチの試合では、3セット、3セットマッチの試合では、2セット先にとると勝ちとなります。

テニスの歴史

テニスの歴史は、紀元前15世紀ごろのエジプトの壁画に源流を確認することができるといわれ、4000年前のエジプトには、ボールや今のラケットに似たものがあったとされています。

この球技は、古代ローマ帝国でもおこなわれていたそうです。

8世紀フランスでは、ラ・ソーユと呼ばれる球技が起こり、11世紀以降、中世フランスの修道院では、「ジュ・ド・ポーム(手のひらゲーム)」という、文字どおりの手のひらを使ったゲームが隆盛しました。

イスラム教徒が宗教的行為としておこなっていたものを、キリスト教徒が模倣をしたといわれています。

その頃は、手のひらや手袋でボールを打ち合っており、現在のラケットの原型が登場したのは、14世紀のイタリアであるといわれています。

初の国際大会は、1505年に開催されました。

ヴェルサイユ宮殿にはテニスコートがあり、フランス革命直前1789年6月20日の「テニスコートの誓い」は、歴史的に有名な事件として知られています。

現在のような形のテニスの歴史は、1873年12月、イギリスのウォルター・クロプトン・ウイングフィールド少佐が「ローンテニス」というパンフレットを作成・発表したことに由来します。彼は、1874年2月23日、このゲームに3年の特許を取り、テニス用具セットも販売しました。

またたく間に広まったローンテニスの競技は、その後、改良が加えられ、そして、1877年には、第1回ウィンブルドン大会が開催されました。

その後、1881年に全米のシングルス選手権、1891年には、フランス選手権、1905年にはオーストラレーシア選手権が開催され、世界的な競技となっています。

テニスの歴史に残るプレーヤー

テニスの歴史に残るプレーヤーといえば、ドイツのシュテフィ・グラフ。

1988年、テニス四大大会のほか、オリンピックでも金メダルを獲得、ゴールデン・スラムと呼ばれる偉業をなしとげました。

年間グランドスラム(テニス四大大会優勝)を最初になしとげた男子プレーヤーは、1938年のドン・バッジ。女子では、1953年のモーリーン・コノリー。どちらもアメリカの選手で、テニスの歴史に残る業績を残しています。

国際テニス殿堂入りをした、ビョルン・ボルグや、ジョン・マッケンローなども忘れられないでしょう。

日本のテニスの歴史に残るプレーヤーといえば、1920年(大正9年)にアントワープ五輪で銀となった熊谷一弥(くまがい・いちや)。

佐藤次郎は、1933(昭和8)年、世界ランキング3位に認定されています。

伊達公子(だて・きみこ)も世界で記録を残したのは記憶に新しいところで、シュテフィ・グラフとの激戦など、日本のテニスの歴史に名を残すプレーヤーとなりました。

テニスのランキング

テニスのランキングは、ATP(男子プロテニス協会)・WTA(世界女子プロテニス協会)が、各大会ごとに決められたポイントの獲得をもとに、決定しています。どちらも、1975年から、コンピュータランキングを導入しています。

テニスのランキング発表は、1週間ごとにあります。ということは、毎週世界のどこかで行われている試合に参加しなければ、ランキングが上がらないということになります。とはいえ、ポイントを獲得できる大会数は限られているため、大きな大会でポイントを上げることが、ランキングを上げることにつながるといいます。

テニスの世界ランキング1位最長保持記録者は、男子では286週のピート・サンプラス、女子では377週のシュテフィ・グラフがトップです。

男子歴代2位は、イワン・レンドルの279週、男子歴代3位は、ジミー・コナーズの268週。1年は52週なので、シュテフィ・グラフの記録がケタ違いのランキングであることがわかります。

テニスのランキングの話

テニスの世界ランキングの話題あれこれ。

日本男子テニス界では、1933(昭和8)年に世界ランキング3位に認定された佐藤次郎がトップ。この当時の世界ランキングは、イギリスの批評家が選ぶものでした。

日本女子テニス界で世界ランキングトップは、伊達公子。1994年、WTA世界ランキング9位に入り、翌年4位を記録。

日本テニス界では、その後、佐藤次郎の記録も伊達公子の記録も、いまだに破られないでいます。

1998年、マルセロ・リオスが、南米(チリ)の男子テニス選手として初の世界ランキング1位。グスタボ・クエルテンは、2000年、南米(ブラジル)のテニスプレーヤーとして、初の年間最終ランキング1位を記録。

2002年2月、黒人女子テニスプレーヤーとして初の世界ランキング1位となったのは、ヴィーナス・ウィリアムズ。

2004年9月、フランス女子テニス界で、初めて世界ランキング1位を記録したのは、アメリ・モレスモ。

2005年、ロシア人の女子テニスプレーヤーで、初の世界ランキング1位となったのは、マリア・シャラポワ。

史上最年少で世界ランキング1位になったのは、マルチナ・ヒンギス。16歳6ヶ月のときでした。モニカ・セレシュは17歳3ヶ月9日で、トレーシー・オースチンは17歳3ヶ月26日、マリア・シャラポワは、史上5番目の18歳4ヶ月で1位。

 
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